エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

飲酒運転

あの福岡の公務員が起こした痛ましい飲酒運転による事故あたりから、飲酒運転の問題が、Mediaで集中的に取り上げられている。ここ数年の公務員の腐敗に対する不信感の増幅とも結びついて、大きな社会問題になった。

しかし、つくづく人間と言うものは、よく考えもせずに安易な選択をしてしまうものだ。飲酒運転は論外としても、運転中に音楽カセットを変えようとしたことが原因のわき見運転による事故もあった。また、近年法律で禁止されたはずなのに携帯をかけながらの運転をいまだに良く見かける(一般人も、携帯運転を見かけたら現行犯逮捕して警察に突き出すべきなのだ。ついでに言えば、自転車の携帯電話運転も逮捕すべきだ)。

日産の自動車開発の中核を担う古参のTest Driverは、朝の自動車出勤の時も、音楽やラジオをけして聞かないそうだ。ただひたすらエンジン音に耳を澄ませる。おそらく、人間が昔馬に乗っていたころ、また、初期の自動車時代、乗り手はごく限られた者たちであり、彼らは何よりも自分の命を守るためにひたすら馬と会話し、エンジン音を聞いたはずだ。やがて車の品質が向上し、かつ、生産性も上がって、大衆が車の便利さを享受する時代になると、便利に、換言すればより安易に、例えば、片足操作で乗れる車が開発され、エンジン音では退屈だろうとラジオやCDが装備され、今ではTV受像も標準装備だ。Navigation装置は、もはや当たり前で、確かに便利なものである。しかし、こういうことを進めれば進めるほど、人の人としての感覚は鈍って行くのだろうし、車の危険性に対する感受性も薄まるのだろう。

Bikeの世界でも、この5年くらい、Automatic車に相当する大型Scooter全盛時代である。確かに、Stop and Goの街中の運転には便利な乗り物だし、収納もBikeに勝っている。もはや、都会でBikeに乗っているのは、美学(=単に粋がっているだけ)以外の何者でもないのだろう。しかし、昔から良く言われているように、Bikeは、別名鉄騎なんであって、もっとも馬に近い乗り物であることには変わりない。エンジン音に耳を澄ませ、神妙に乗っていなければ怪我をする。下手をすれば命さえ落とす。そのことを常時耳元で囁いていてくれる、いまや希少な乗り物なのだ。

人は人としての感覚を捨て去ってはいけないのだ。だからと言って、今更馬を交通手段にしようなどとは言わないが、どこかで折り合いをつける必要はあるのだろう。それは人それぞれだが、私は取敢えず、突っ張れる限り、Scooterを拒否していくことにする。