明治維新を成し遂げた革命家たちは、国家目標を当時の言葉で分りやすく「富国強兵」とした。後に、彼等を引き継いだ秀才たちは、この意味を曲解して、国家を滅亡寸前にまで追い込んだために、今日この言葉を積極的な意味で使うことはなくなった。しかし、当時極東から南亜細亜に至る地域の主要な脅威は、英国の帝国主義と露西亜の南下政策のぶつかり合う植民地主義であった。露西亜に対する備えを固める一方、英国と同盟した明治の指導者たちの皮膚感覚は、国民の生命と財産を守るにはどうすることが最善かを感じ取っていたのではないだろうか。今日、自由主義・民主主義に拠って立つ日本の国家の目標と存在価値も、根本は、全く変わらない。国家の最大の目標は、国民の生命と財産を守ることだ。しかし、この国は、国民の生命と財産を本気で守ろうとしているのだろうか、と首を傾げてしまう。このままでは、北方領土も、竹島も、尖閣諸島も全て強奪され、それでも、日本固有の領土に対する周辺国の侵食を手を拱いて見ているだけの国に陥ってしまうのだろうか。
【北京=末続哲也】尖閣諸島(中国名・釣魚島)周辺の日本の排他的経済水域(EEZ)内で、中国の海洋調査船が事前通報とは別の地点で調査活動を行った問題で、中国外務省アジア局の当局者は5日、日本側の抗議について、北京の日本大使館に「日本の宣伝に強い不満を表明する」と伝えた。同省が6日発表した。
同当局者は、「釣魚島と付近の島は中国固有の領土で、中国の船舶が近海で行う正常な海洋科学調査は中国の正当な主権行使だ」と語った。
[読売新聞社:2007年02月06日 14時06分]
以下、モスクワ在住気鋭の国際情勢分析家、北野幸伯氏、露西亜政治経済ジャーナル439号(2月6日)から引用;
中国はアメリカ不在を狙って他国を侵略した。
見間違いではありません。侵略した、です。
1973年、アメリカはベトナムから撤退しました。1974年1月、中国は南ベトナムが支配する西沙諸島に侵攻。守備隊を撃滅し、同諸島を占領。西沙諸島は、約34の島からなり、中国・ベトナム・台湾が領有権を主張しています。1973年まで、同諸島の北半分は中国が、南半分をベトナムが支配していました。中国は、米軍が去ったのに乗じて南半分を支配したのです。中国は、西沙諸島の永興島に滑走路や通信施設を建設。軍隊が常駐し実効支配しています。
もう一つ例を。
これらの事件を日中関係に置き換えてみましょう。
ベトナムとフィリピンでこういうケースが既にあったということです。この原稿を書いているときに、こんな情報が飛び込んできました。
1、中国は、アメリカがいるときはおとなしい
2、中国は、アメリカがいなくなると速やかに侵略を開始する
引用終わり