エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

社労士事務指定講座

社労士事務指定講座の教材が届いた。社労士試験に合格し、二年以上の実務の経験があれば、社会保険労務士登録を行うことができる。それでは、二年以上の実務経験が無い者はどうするかと言うと、全国社会保険労務士連合会が提供する事務指定講座なるものを受講して、実務経験に代えることができる。事務指定講座は、通信教育と夏に行われる4日間の講習で、約半年で修了する。

社労士試験の試験勉強は、労働保険制度、年金制度、健康保険制度などかなり細かいことまで出題されて、なるほどこう言う仕組みになっているのかと言うような類の発見は多かったとは言え、単に知識を頭にぶち込んだだけなので、Case Studyを中心とした、実務研修が必要になることは良く分かる。この講習が実は実務にはあまり役立たないと言う実務家もいるようだが、それは本人やり方と考え様で、私自身はしっかり取り組むつもりでいる。

しかし、日本人が、学問と実務をどこか断絶させると言うか、分かりやすく言うと、芥川賞直木賞の対象を最初から異質なものとして取り扱う精神構造は、一体何なのだろう。そういう学問や純粋芸術は、実態社会とは少し違うものだという発想が、顕在か潜在意識かは、はっきりしないがあるという仮定を立てないと、今年の午前中の選択式問題第5問のような「超弩級」の馬鹿問題は、どう考えても出題されるとは到底考えられない。社労士試験は、午前中の選択で40点満点、午後の択一で70点満点中それぞれ合格点を取らなければならないが、その上で、各科目選択では3点以上、択一で4点以上取れていなければ、原則不合格になる。過去問を見ると平成16年の健康保険のような問題数の少ない択一における馬鹿問はあることはあるが、今年の択一社会保険一般常識は非常識極まりない問題だった。こんなもので、不合格になるようなことならば、これは天の意思でこの試験はもう止めよと言うことなんだろうと理解しようと思ったほどだ。

択一社会保険一般「非」常識問題にもかかわらず、合格したのは、これも天命と思い、社労士関連の仕事を模索中だ。いきなり開業と言うのは、弁護士でさえ難しいという昨今、無理がある。まずは、実務を積むことだが、適当な場所が意外に少ないのが現実だ。Internetの普及で、知識を売る専門職は、もう一工夫ないとなかなか生き残っていけないのが現実と知るべきかも知れない。

しかしだ、それにしても日本は後ろ向きな気がするのは何故だろう。頭から学問や専門知識と実務は違うのだ、世の中は法律の通りには動かないのだ、という思い込みがあり、実際その思い込みの通りの社会になってしまっているから、と言う仮説である。労働基準法という使用者に対する罰則まで定めている法律があっても、サービス残業はなくなるどころか一般化する社会。犯罪であるとはっきり定義され、罰金もとてつもない金額に引き上げられても談合をする大手建設会社。名古屋の談合事件には、愕然とした。

最近1990年代に住んだ米国のの雰囲気をふと思い出した。ここのところ世界で戦争をやって、すっかり悪役になってしまった感はあるが、やはり米国は、日本に比べると明るい。それは、なんでもありの明るさなんだろうと個人的には勝手に思っている。それで、思い出した話がある。明治時代の松山出身の軍人秋山好古、真之兄弟の真之の方の話で、彼が海軍参謀として、研修のため、英米渡航する。当時最強の海軍はRoyal Navyであり、米国海軍は長男、帝国海軍は次男と言うところだった。英国での研修が終わり、大西洋を渡った真之は、米国海軍が進取の精神に富んでいることにえらく感心している。真之がその顕著な具体例に挙げているのは、PCを駆使する現代人の目からするとお笑いだが、米国人が海戦の机上演習などにおいて海図に模型の艦船をおいてやっている点だった。思いついたことをやってみようと言うことにおいて、本家の英国のやり方には囚われない米国流は、真之の心を打ったようだ。

ところで、司馬遼太郎坂の上の雲」は、NHK阿部寛の好古、本木雅弘の真之で結構力を入れてドラマ化するようだ。この配役は、人物像と良く合致している。幕末から明治の人物は、それなりに資料や写真が残っているので、あまりに印象の違う配役を使うのは絶対に良くない。小男で切れ長だった高杉を中村雅俊がやったり、6尺優にあったという西郷をただでぶなだけの西田敏行がやったりするのはおかしい。中村晋作は副主人公で、主人公役の中村梅之助方は「攻め達磨」そっくりだったが。

ついでに言えば、大河ドラマで日本の歴史の中心にいた人物以外を主人公にするのは、大河の支流になりやすく、失敗する確率が高まると考えている。坂の上は、大河ではないから良いが、大河と言うからには、大河の本流にいた人物だけ、繰り返し取り上げた方が成功確率は高まるというものだ。大河の本流にいた人物の定義は人によって異なり、難しいところだが、せいぜい新撰組近藤勇くらいまでで、利家は微妙、一豊は入らないと思う。宮本武蔵は、ドラマの主人公だが、大河で取り上げる人物には入らない。独断と偏見だが、大河とは、日本とはどういう国なのか、どのような歴史をたどって、どのような価値観や倫理観を育んで来たのかということを繰り返し繰り返し伝えるという大原則、使命をまっとうできなければ、やらない方がましと言うものだ。

と言う訳で、妙な慣習や偏見に縛られ、その上、守るべきものが分からず、時代に迎合して妙な改変を加えることが変革と思っているのが、今の日本の一面であると言う話。