エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

高野連について

数あるスポーツの内で、野球は最も好きなので、良く野球の試合を見る。しかし、この10年余り、高校野球だけは決して見ない。特殊な事情がない限り、見ないので決勝戦を含め99%見ない。去年の夏の早実対駒大付属の名勝負などもちょっと惜しいとは思ったが、見なかった。何故かと言うと、私はひねくれ者なので、高校野球に偽善を見てしまうからだ。高野連高校野球は、確かに日本の野球の水準を上げるのに貢献しているとは思うが、それと同じくらいかそれ以上に悪影響も与えているのではなかろうか。

昔から、高野連は、選手の飲酒・喫煙など不祥事に連帯責任という意味で厳しかった。規範に違反した選手とせいぜい監督責任のある野球部長だけ厳罰に処せば済むところ、甲子園予選出場停止など、他の部員まで巻き添えにする処罰をするのが常だった。これは、一つの理念として、貫くというならば、それはそれで良い。「常に他人のことを考え、他人のために尽くす」と言う考えは、実は社会人にとって一番必要なことだ。しかし、そういった哲学や理念を常日頃から高校生に伝えることなく、事件が起きた時に裁量で過剰な連帯責任を課す高野連は、前時代の遺物で、百害あって一利なしと言う印象だった。

今回、他のスポーツや勉学の優秀者には、常識的に認められている特待生制度まで、西武球団の金銭授受醜聞の発覚に絡んで否定する高野連の姿勢は、憲法第9条を守ろうと言う一部の夢想的理想主義者と根本的に良く似ている。確かに、特待生制度を非常識なまでに拡大して全国から野球の上手い選手を集めて、常勝軍団を作り上げるような私立高校も出てくるかもしれない。しかし、それは、非地元出身者部員を制限するなど、より現実的な対処方法があるはずだ。むやみに野球特待生制度を利用できない公立高校は不利だが、そう言った条件が常に平等ではないのが、現実の社会と言うものだ。

今回の調査で、300校を超える高野連加盟校が特待生制度を実施しているとの自主申告をしているが、ここまで行くと、責任の所在は、生徒はもちろん、学校にもなく、憲章や規約の周知徹底を怠ってきた高野連の責任者にあると言わざるを得ない。しかし、権威主義的な高野連の連中は、そんなことにさえ思い至ることはなく、今までの厳罰主義とは全く整合性のない、弥縫策に終始するのだろう。

高校野球の現場の関係者たちは、おそらく非現実的な高野連に対して、舌を出していないまでも、理念なき規範の執行に汲々としている馬鹿な連中と心が離れていっているに違いない。高野連がすべきことは、唯一つ、特待生制度を否定する憲章の趣旨、その理念を少なくとも処罰される学校関係者の誰もが理解できる説明、心に響く説明を今からでもすることだ。それができない憲章など、ない方がましと言うものだろう。

それから、不祥事が、事後報告で次から次に出てくる駒大付属の優勝は、今までの厳罰主義や連帯責任主義と整合性を取るならば、取り消されてしかるべきだ。理念なき高野連が支配する高校野球に偽善の臭いが充満している。甲子園に爽やかさを見出せない私は、単なるひねくれ者なのだろう。