エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

蒼穹のファフナー−その2−

現在GyaOで配信中の「蒼穹のファフナー」を第25話「決戦」まで見て、今夜見る予定の最終話を楽しみに取っておいたと言う状況。Wikipediaの解説を読むと、この作品はいろいろ問題があったことにも言及されているが、出来ばえは悪くない。個人的には評価の高い作品だ。GyaO配信中Animeの中でも、ここの所一番人気を走り続けているのが素直に頷ける。

Robot Animeを評価する項目として、第一に挙げられるのが「Robotによる戦闘場面の迫力」、第二に「登場人物の個性と彼等の織り成す人間模様の説得力」、第三に「物語の面白さや世界観の斬新さと説得力」に便宜的に大きく分けて考えてみる。

第一に挙げた点は、Robot Animeに固有の評価項目であることは誰にでも分かる。第三点も、そもそもSFから派生したRobot Animeには親和性のある項目とも言えるが、子供向け漫画から出発した事情からか手塚などが本質的に持っていた物語の哲学性などと言うことは、物質文明全盛の高度成長期などにはほとんど捨て置かれた状況が続いたように思える。途中、1970年代に永井豪の「Devilman」が異彩を放った事はあったが、Robot Animeにおいて本格的に宗教的・哲学的な世界観および問いかけを持ち込む試みは、1995年の「新世紀エバンゲリオン」(庵野秀明)の登場を待たなければならなかった。想像するに、Bubble崩壊をきっかけにして、日本における戦後の高度成長政策が完全に行き詰まり、万事を論理と金の力で律していこうとする底の浅い科学万能主義が閉塞状態に陥っていたのであろう。そんな時代の空気から、大衆の潜在意識の中に再び哲学や宗教に目を向ける傾向が現れ始めたことを敏感に感じ取った人たちがAnime製作者の中にも庵野監督を始めかなりの数存在していたのかもしれない。

「人間はなぜ存在するのか」、「この世界はどうして創られたのか」、「自分は何故、何をするために生まれてきたのか」と言うような問いかけは、江戸時代、つまり科学万能主義に汚染されていない時代の人間ならば、星空でも眺めていれば、子供のうちから自然に発せられた問いかけだっただろう。子供のときから自然にこう言った問いかけに親しんできたならば、科学的ではないにしても、大人になるまでに比較的まともで安定した世界観を形成することが可能だったろうと想像する。

ところが、現代人は、読み書きそろばんの実学的教育はあっても、こう言ったことをほとんど考えずに哲学の素養もないまま大人になってしまう場合が多い。その上、日本人一般は良くも悪くも一神教の教徒ではないし、伝統的な神話の素養も捨ててしまっている。こう言う土壌にいきなり科学万能主義に疑念を呈するような問いかけが為されるとどうなるか。ある者は、特定の科学とは言えないまでも、理知的論理的な思索を重ねて、哲学的な思考や人格を身につけるかも知れない。ある者は、神秘主義的傾向に走り、宗教的に目覚めるかもしれない。怖いのは、この傾向が極端に走って、Cultのような集団が発生してくることだ。

話が脱線したが、Evangelionが提示したRobot Animeに哲学的・宗教的な世界観を持ち込むと言う試みは、その後の日本のRobot Animeに多大な影響を及ぼし、EurekaseveNに見られる仏教を出典にしたと見られる世界観やFafnerのゲルマン系の神話を題材にした世界観などが物語りの根底に流れている。最早日本のRobotものにおける独特の世界観形成は、必須項目のようになっており、そのため物語は極めて複雑な構成になり、私などに言わせると大人の鑑賞に堪える面白さになっている反面、子供には少々分かりづらい作品が多くなっているようにも思える。

Fafnerは、舞台こそフェストゥムの攻撃によって壊滅的な打撃を受けた日本人の生き残りが移住した人工島である宮竜島であり、その島の核となっているのが人間とフェストゥムの中間的な存在である宮城乙姫(つばき)としているが、主にゲルマン系の神話から借用したと見られる世界観が底流にあるために、同じくキリスト教の世界観を持ち込んだEvangelionとの類似性が指摘されることとなった。この点が、比較的出来の良い物語構成にもかかわらず、必ずしも評価されてこなかった原因の一つになってしまっている。

また、第一の「Robotによる戦闘場面の迫力」、第二に挙げた「登場人物の個性と彼等の織り成す人間模様の説得力」の点で、金字塔とも言える作品は、もちろん第一作目の「機動戦士ガンダム」=First Gundamと言う点に異論は出ないと思う。Fafnerは、「Robotによる戦闘場面の迫力」の点で、Gundamには遠く及ばず、Robot(LFO)が舞台の惑星の大気中に流れるTraparに乗って波乗りのようなRefをやりながら戦闘を繰り広げると言うEurekaに見られるような斬新な工夫もなかったため、平凡な評価になるのはやむをえない。しかし、「登場人物の個性と彼等の織り成す人間模様の説得力」の点で、水準以上の出来ばえの良さは評価できると思う。この作品が結構泣けるのは、正にこの点にある。