エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

ゼーガペイン“Zegapain”に永井豪の血統?

訳有って、第2話から第5話をすっ飛ばし、第6話「幻体」から第11話「残る幻」までの6話を週末見てみました。好い作品です。大企業病で堕落していくSunriseが大量に垂れ流すくそみその中にきらりと輝くReal Robot Animeの傑作が混じっていました。第6話「幻体」は、その中でも主人公「京」がこの世界が量子Serverの中の仮想現実に過ぎず、人間は既に滅亡しており、自分たちはData人格記憶体に過ぎないことを紫雫乃から告げられて困惑の極地に至る物語序盤の山場になっています。つまり、生物としての人間は最早地球上には一人も残っておらず、機械の中の幻の町で暮らす滅亡した人類の記憶に過ぎないと言うZegaの救いようの無い程悲劇的な世界観が京を通じて視聴者の眼前に提示されるのです。

ところで、Old Boyの筆者は、Zega DVD File.08の表紙絵に何故か永井豪の匂いを嗅いでしまう。この絵は人の表情や姿勢といい、構図といい、どう見ても永井豪風なんだよな。

そう思いつつ、Zegaを見ていると、Zegaのどうしょうも無く救いようの無い世界観は、永井のSF Animeの傑作Devilmanでも本当に主人公不動明が気の毒になるような悲惨な世界だったことに思い至る。登場人物の性格(キャラ)の作り方も何とはなしに永井のそれに似ているような気がする。真っ直ぐで一生懸命で明るいがそれ故になのか妙に悲しい。Devilmanになった不動明は、戦う意味を幼馴染の美樹を守ることに見出すが、その美樹も同胞であるはずの人類に惨殺されてしまう。十凍京も舞浜Serverの中にだけ存在する幼馴染の了子や友人たちとの関係の中に、自分はDataに過ぎなくても、今を生きていると言う実感取り戻し、再び戦場である現実世界に戻ってゆくのだった。

永井作品を始めて見た時、石ノ森正太郎の影響が見て取れたのですが、石ノ森は既に故人となり、永井も存命の漫画家の中では既に大御所の一人と呼ばれてもおかしくない領域に入っている。この頃の人たちの作品は、高度で難解な物語やCGを駆使した今のAnimeに比べる術も無いが、しかし、才能のある作家が描いた原始的で単純だが優れたところの多い作品群は、Diamondの原石のようにその後の日本Animeの発展のための礎のような役割を果たして来たに違いない。

Zegapain。永井の一面である優れた物語構想力、健康的なEroticism(永井はかなり病的なそれも描いてはいるが)を昇華させた作品のような、そんな匂いがする。Staffの中には永井の影響を受けた人がいるに違いない。こうして、正統な日本の漫画・Anime文化は正しく受け継がれて行くことだろう。