エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

現代医学と癌

 健康診断を一応年に一回受診しています。薬を否定し、健診さえも否定する内海聡先生の癌治療と精神医学に関する話。相変わらずこの先生の話は過激です。

 以下は、桜林美佐さんの「美佐日記」35回より、本質や内面に迫ることの重要性と現代の日本では、どうもその精神性が避けられるような傾向に陥っているという話。

< コンビニやスーパーで何かを買う時、その商品があと2個しか なかったらどうしますか? 実は私は、1個は残しておきます。後でその商品が欲しくて買い 物に来た人が気の毒だなあと、つい考えてしまうからです。 賞味期限や消費期限も、なるべく長持ちする物を買うべきと考 える方が多いようですが、そうすると、期限が迫っている物は遠 からず処分され「フードロス」になってしまうと思い、期限の近 い物を選ぶ癖も、「変ってるね」とよく人に言われます。 「なんでそんなことするの?」と言われますが、誰に言われた わけではなく、なんとなく自然に身についていたので、もしかして、これが「神の見えざる手」というものなのか??と勝手に思い込んでいました。

 そのうちにアダム・スミスの『国富論』というのを学校で習い、「神の見えざる手」とは行政が規制せず市場に任せておけば経済 は安定するという意味だと聞いて「なんのこっちゃ」という理解しかできませんでしたが、少なくとも私の思っていた「神の見え ざる手」とはぜんぜん違うんだなあと知りました(因みにアダム・ スミスが言ったのは「見えざる手」led by an invisible handで 「神の」とは言ってないそうです)。

 しかし最近になって、渋沢栄一が1万円札の顔になるというニ ュースがあり、関連の記事をいくつか読むことがあったのですが、 私が勘違いしていたと思っていた「神の手」の話(と、勝手に命 名)は、当たらずとも遠からずだったのではないかと分かったの です。  渋沢栄一は日本で初めて銀行を設立した人であり、株式制度を 導入した人ということで、日本の「資本主義の父」と言われます が、その一方で「道徳経済合一説」というものも唱えています。 『論語』を学んでいた渋沢は経済活動における道徳の必要性を強 く認識し、公益を追求し「日本全体を良くしたい」という理念を 持っていたようです。 日本の防衛産業の歴史を紐解いた際も感じていましたが、かつ ての経営者には同じような考え方が多かったようですよね。

 実は、その渋沢栄一が、自らこのように言っているのです。「私の愉快に思いますのはアダム・スミスの学説が私の信条たる道徳に一致することであります」と。実は、アダム・スミスには『国富論』の前に『道徳感情論』と いう著書があり、そこではスミスも私利心が全てではなく「隣人を愛する」ことの重要性を説いているのだそうです。私のコンビニでの買い物もこの点だけ適合するかなと・・・!  ただし、アダム・スミスは自己利益を追求していくことで 「自然に」「見えざる手」によって社会全体が繁栄するという、 些か無理がある理論だったため、現在社会ではどちらかという と「う〜ん・・・そりゃむりでしょ」と首を傾げられている印象 があります。一方で渋沢はアダム・スミスの「利益優先」(結果的なみんな の幸せ理論)に比べ「倫理優先」で何事も行なったということで す。それはどういうことかというと「経営の社会的責任」を優先 することだといいます。即ち「広く民に施して衆を救う」ことが使命だと。現代ではCSR (Corporate Social Responsibility)という言葉がぴったりくる ようです。

 こうした渋沢の理念、生き方に米国の経営学者ピーター・ドラ ッカーはいたく感銘を受け、渋沢はロスチャイルドやロックフェ ラーよりも優れた実業家だと評価しているのだそうです。こうした経営理念が、現在でも欧米などで広く研究されているといい、中国でも研究が進んでいるといいます。不思議なのは、日本国内であまりこうした側面が語られないよ うに見えることです。いえ、側面どころか本質なのかもしれない のに。

 話が飛ぶようですが、例えば『人生がときめく片づけの魔法』 の著者であるコンマリこと近藤まりえさんは今、米国で超有名人 です。2015年の米国誌『TIME』の「最も影響力のある百人」 のひとりにも選ばれています。  コンマリさんの本は私も読み、素晴らしいものでした。当時、 テレビにもよく出演していて、その内容は「片づけられない人を 助ける」というものが多かったのですが、コンマリメソッドの本 質は実はそこではないと、本を読んで理解し、すっかりファンに なりました。コンマリメソッドは、物を捨てることが目的のように思われるか もしれませんが、むしろ「感謝する」ことが重要で、胸がときめ かないものを手放すこともその物に感謝すればこそなのです。

 要するに、このメソッドは単なる整理整頓術ではなく、人の内面に働きかけているのです。 コンマリにはまっている米国の女性が「洗濯物をたたむ時にテレビやラジオを消すようになった」と言っていて、そのことで目の前の服たちと向き合えるようになった・・といった話を聞きま した。いわばこれは片づけることによるマインドフルネスなので す。以前に書きましたが、私もずっとテーブルの上に置きっぱなしにしていた資料や本を片付けることができた時、本当に感動しま した(隣の部屋に移しただけですが)。これは「片付けられない 」症候群に陥っていないとなかなか分かってもらえない気持ちかもしれませんが・・・。  コンマリが色々なおうちを訪ねて一緒に片づけをするネットフリックスでの番組では、きれいになった家で依頼主と抱き合って涙するシーンが多いようです。とにかく、今回書きたかったのは、経済にしても片づけにしても、何であれ日本では表面的な捉え方のみで、あえて内面には触れないところが歯がゆく、もったいないなということです。 世界の紛争や対立も民族や国境のみならず「宗教」という内面世界を知らなければ到底理解できないはずなのに、なぜかそこは避 けて論評されることが多いようです。「避けなければいけない」と思っている向きが多いようですが、 「避けてはいけない」のではないでしょうか。 大阪で開催されたG20サミットに際し、世界宗教サミットも行なわれていたことはあまり知られていません。わが国では、宗教というと社会や政治、経済とかけ離れた分野 だと思われていて、宗教理解の重要性を認識していないのではないかと松本佐保・名古屋市立大学教授が書かれていたコラムを読み、納得しました。やはり日本人の多くは宗教的なことを毛嫌いしているのだと。そこで、『戦争は人間的な営みである』(並木書房)でもお馴染みの石川明人先生の本を改めて紐解いている昨今です。 ホルムズ海峡に有志連合が派遣されるかもしれないといったニュースが出てきています。その傍らで参院選に向けた選挙演説を連日で耳にしますが、内容があまりに矮小で、倫理観のかけらもないような話ばかり。日本人の精神年齢がますます低下するのでは ないかと憂いてしまいます。>