エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

大相撲を楽しむ_稀勢の里

 新大関稀勢の里については、素質には恵まれていますが、ただ気の荒いだけの悪役力士と当初は思い込んでいました。稀勢の里が面白いと思い始めたのは、やはり横綱白鵬の連勝記録を阻止した一番からです。いまや日本人力士の中で白鵬関と互角に戦える力士というだけで、その存在価値は十二分に発揮されます。稀勢の里関の強さは、恵まれた素質と豊富な稽古量に支えられた身体能力の高さと突き放しても組んでも取れる型にとらわれない相撲の柔軟性にあると見ています。ここぞというときの「がぶり寄り」と型がある程度完成している同僚大関琴奨菊関とは対照的です。

 さらに面白かったのは、昨年九州場所千秋楽の琴奨菊戦において当事者の稀勢の里関、琴奨菊関及び相撲協会が見せたその対応です。まず、相撲協会、この対応はひどくセンスにかけるものでした。稀勢の里を早く大関に昇進させて日本人大関をもう一人作りたいという思惑と、八百長を連想させる要素はことごとく排除したいというなますを吹くような根性からか、対戦当日の午前中に稀勢の里大関昇進を事実上発表してしまいます。しかし、慣例上、稀勢の里関の大関昇進を決定づけるためには、九州場所の11勝目、即ち千秋楽での対琴奨菊戦の勝利が必要だったわけで、協会は自ら慣例の例外をまた一つこしらえてしまったわけです(もちろん、これまでも、より少ない勝利数での大関昇進の例は多々あるようですが...)。それ以上に、相撲協会が分かっていないのは、新大関でこの場所に臨んだ琴奨菊関が、この一番に大関の意地を優先するか、同僚の昇進がかかった一番に果たして全力で勝ちに行ってしまって良いのかという心の葛藤を抱えながら、どのようにこの大一番に臨むかという相撲観戦の醍醐味を端から奪ってしまったことでした。

 この相撲協会の極めて無粋な計らいによって、元々素直な性格の琴奨菊関は、もはや何のためらいもなく、平常心でこの一戦に臨むことになります。一方、稀勢の里関は、琴奨菊関を苦手としており、勝ちたい、勝って11勝目を上げて、誰にも文句を言わせない形で大関に昇進したいという気持ちが強かったようです。結果は、美空ひばりの「柔」さながら、稀勢の里関の完敗に終わります。ただの気の荒いだけの力士ではなく、意外にいろいろなことを考え込んでしまう型の力士であることが、非常によく分かった一番でした。この一番のせいで、大関への昇進がすっきりしたものでなくなったこともあり、稀勢の里関は、近頃の慣習として昇進を受ける際に力士が発することになっていた四文字熟語に一切言及していませんでした。そんな格好つけられるような昇進ではないと、本人も自覚していたのだと思われます。

 そして、心機一転活躍を誓って臨んだ両国国技館での初場所において、新大関は終盤に入っても1敗で優勝戦線に踏みとどまる奮闘ぶりで、苦手の琴奨菊戦を迎えます。対する琴奨菊関は、ここに来て大関昇進に伴うもろもろの疲れが出てきたのか、それとも研究されてきたせいなのか(多分勝てなかった理由はこちらでしょう)、連敗で勝ち越しさえ危うい不調の場所でした。しかし、ここで、稀勢の里関の採った作戦は、立ち合いで変わってはたく、大関としては姑息な作戦でしたが、不調の琴奨菊関は脆くも前に倒れてしまい、勝負は一瞬にして決してしまいます。この時点での稀勢の里関の選択は、優勝戦線に残ることを最優先し、苦手の琴奨菊関との真っ向勝負を回避するというものでした。新大関横綱白鵬でさえも真っ向勝負で破ることができる「光」の側面と、苦手力士に対してはこのような姑息な手段も躊躇なく使うという「影」の部分を持ち、その狭間で揺れ動いていることを象徴する一番でした。

 残念ながら、琴奨菊戦には勝利したものの、この後連勝はできずに優勝戦線から脱落して、新大関初優勝の夢は露と消えます。しかし、稀勢の里関という力士の本質は、相撲の型においても心のあり様においてもいまだ揺れ動いている未完の状態にあり、この揺れを克服してこそ、その真価が発揮されるということがよく分かる九州場所から初場所にかけての出来事でした。白鵬関が昭和の大横綱双葉山の相撲を範にして自らの真価を手繰り寄せたように、新大関にも何かをきっかけにして止揚を計ってもらいたいものです。そういう意味で非常に面白く、これからが楽しみな力士ということができると思います。

 ところで、プロ野球界は、我が国の貿易収支の改善に貢献しようとしたのか、球界の至宝である北海道日本ハムダルビッシュ有投手を5170万米ドル(40億円)で輸出すことになりました。国際化して海外から次々と人材が押し寄せ、Wimbledon化する大相撲とは異なり、人材の大リーグ流出に歯止めがかからない状況は、非常に厳しいと言わざるを得ません。今季からは、昨季までのプロ野球の最大の醍醐味とも言えた名投手ダルビッシュの投球も観られなくなってしまいます。しかし、この時期のダルビッシュの渡米には、杞憂に終わってくれればよいのですが、彼自身にはどうすることもできない外的な不安要素が付きまとっているように思われます。無事に活躍できる環境が続いてくれることをひたすら祈るばかりです。