エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

大相撲を楽しむ_横綱白鵬

 昔々「巨人、大鵬、玉子焼き」という言い回しが人口に膾炙していた時代の残滓に引っかかっているため、私にとってプロスポーツと言えば、野球と相撲を意味します。最近は、どちらも往年の面影が無くなり、人気凋落を競い合っているようですが。特に、大相撲は、賭博に八百長疑惑の顕在化など最悪の醜聞が打ち続き、落ちるところまで落ちた感があります。

 しかし、落ちるところまで落ちた最近の大相撲には、意外と見るべきところがあるというのが隠れ相撲好きの個人的見解です。小生の一番お奨め力士は、何といっても白鵬関です。ところで、アスリートといわれる人たちは、その精神性において大きく2種類に分かれるような気が致します。一つは、その性向が「善」であれ、「悪」であれ、ブレがなく素直で真っ直ぐな型の人たちです。相撲に対する姿勢が真っ直ぐで、親方に言われたことは素直に聞き入れて伸びてきた感じのする「善」の代表が、琴奨菊関であり、逆に、自身の身体能力と信念に絶対的な自信を持っていて、何があっても揺るがなかった「悪」役が元横綱朝青龍関でした。この型のアスリートは、強くなるのが比較的順調で、ここぞというときにも比較的平常心で強さを発揮しています。水泳の北島康介選手などもこの型に属するアスリートだと思われます。

 もう一つの型は、「善」と「悪」の間で悩み、迷いがちな性向を本質的に持っているアスリートです。恐らく、横綱白鵬関と新大関稀勢の里関が角界では、この型ではないかと思われます。白鵬関は、横綱昇進後も同郷の先輩横綱である朝青龍関をなかなか凌駕することができず、敗れた後にさらに突いてきた朝青龍関に腹を立て、土俵上で殴り合い寸前のところまでいく事態まで引き起こしました。たしか、この一番の前後くらいから、白鵬関は、朝青龍関の揺るがぬ自信に対抗するためだったのか定かではありませんが、昭和の大横綱双葉山の相撲を当時のVTRを見て研究し、範に仰ぐようになります。

 双葉山の相撲とは、一体どのような相撲だったのか、不滅の連勝記録「69」の達成者である双葉山は、決して待ったをかけなかったといわれています。これは、単なる横綱としても矜恃というものではなかったと想像します。おそらく、双葉山という力士は、武道でよく言われる「後の先」を完成させていたのではないかということです。「後の先」、即ち、相手が仕掛けてきて、そこから先では相手が戦法を変更することができなくなる瞬間、かつ、それ以上待つとこちらが出遅れて相手に押し切られてしまう一瞬に、相手の手の内を完全に見切って立つことです。「後の先」ができれば、確かに待ったなどかける必要性は大幅に減ります。白鵬関の「後の先」は、まだ未完成のようで、通常は「先の先」で立っているようです。今場所、優勝を逃すきっかけを作ったとも言える一番が鶴竜戦であると考えますが、正にこの一番で、横綱が珍しく「待った」をかけて、その後の仕切り直しの一番で鶴竜関に完敗したからです。また、千秋楽の把瑠都戦は、「後の先」で立ったかなという気がしました。

 もう一つ、双葉山関の特徴は、組合った相手にとって横綱の重心や力の出所が分かりづらいような身体の使い方をしていたと伝えられることです。今思い出すに、負けない横綱大鵬関の身体の使い方がこれに近かったのかもしれません。白鵬関も、ムキムキの筋肉は忌み嫌い、柔らかくしなやかな筋肉ということを言っており、力を分散させたり、身体を割って使う古武術のような身体の使い方を意識していることが伺えます。日本人でさえ、69連勝以外のことを忘れ去っていた大横綱を現代に甦らせてくれた横綱白鵬は、蒙古人であるとか日本人であるとかは関係なく、屈指の名横綱に数えられてしかるべきだと私は思っています。双葉山の言を真似て「我木鶏たり得ず」という人はいましたが、白鵬関に限って言えば、その程度の次元ではないということです。