エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

ロボット・アニメと家出に関する考察

 今日のRobot Animeの隆盛の礎を造ったのは、何といっても70年代後半の「機動戦士ガンダム」と90年代半ばに放映された「新世紀エヴァンゲリオン」です。ただ、 両作品は人類の進歩・進化について肯定的か否かにおいて、正反対の立場であるように思えます。いうまでもなく、「人の革新たるNew Type」という概念が物語の主題の1つになっているガンダムは、肯定派であり、一方、エヴァンゲリオンでは、原作者の庵野秀明氏が進化論を否定した宇宙人降下説をとることからして、人の進歩には懐疑的な立場なのではないかと推測されます。

 この辺りが、同じようなウジウジ型主人公ながら、ガンダムではアムロ少年の成長していく物語が描かれたのに対して、碇シンジはいつまでたっても馬鹿シンジだった所以のように思えてなりません。

 面白いのは、この2作品に続くRobot Animeの代表作と言ってもよい作品群で、人類の進歩・進化について肯定的な立場と思われる作品は、ことごとく主人公の少年が家出します。「機動戦士ガンダム」のアムロ・レイは、ブライト艦長に殴られたのをきっかけに日頃の不満を爆発させて家出します。「殴ったね。親父から殴られたこともなかったのに。。。」とか何とかほざくあの場面です。その後、アムロは、ランバラル率いるジオンの遊撃部隊との出会いなどを経てWhite Baseに帰って来るのですが、これは、少年が成長していく上で絶対に乗り越えなければならない父性という壁とそれを乗り越えて成長してゆく過程とを象徴する出来事と解釈できます。

 「交響詩篇エウレカセブン」のRentonは、自分自身が成長途上のためにより幼稚で兄貴分的な父性のリーダーであるHollandにEurekaをめぐる確執で殴る蹴るの暴行を受け、肝心のEurekaからは冷たくされたと思い込み家出します。Beams夫妻との出会いと別れなど、良い意味でのガンダムのパロディーを完璧に描き切った家出譚に仕上がっています。「蒼穹のファフナー」の真壁一騎も幼い頃友人を傷つけたために植えつけられた「消えていなくなりたい」というトラウマに加え、ファフナーで戦うことの意味を見失って、人類軍のスパイ由紀江にそそのかされて家出しますが、捕えられた人類軍モルドヴァ基地において自らの自我を見出し、新しく生まれ変わったFafner Mark Sein引っさげて竜宮島に帰還しています。

 一方、同じガンダムでも、今世紀に入ってから制作された「機動戦士ガンダム Seed」では、主人公キラは、家出しません。地球連邦と宇宙に移住したCordinatorと呼ばれる人々との戦争を描いた点は、1年戦争時のガンダムとよく似た設定です。しかし、Cordinatorとは、遺伝子操作によって人為的に生み出された人々で、これを果たして進化と呼べるのか、ラスボス的な人物が、実は人間のクローンであったことなどからして、作品は諸手を挙げて進化を肯定しているわけではなく、むしろ否定的、少なくともかなり懐疑的なように受けとめられます。

 ちなみに、現在放映中の「機動戦士ガンダム AGE」は、ガンダム自体が進化するという進化・発展に絶対的な信頼を置いた思想に立脚しているように見受けられます。主人公についても、主人公の少年の成長どころか、アスノ家3代にわたる息の長い成長の物語です。不況の長期化、少子高齢化、その上に大震災で閉塞感も窮まった我が国において、その反動とでも見ておくべきなのでしょうか。このあたり、Robot Animeも時代を映す鏡なのかもしれません。