エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

灼眼のシャナ−その1−

今日は、久しぶりに秋葉原に行ってきました。秋葉原ならばどこにでもあるような雑居ビルの4階に店を構えた電器屋でRegion FreeのDVD Player“AUDING ADV-024”を6,980円で購入。繋いでRegion Code「0」に設定してDVDを作動してみると、行けます。Region 1の米国製DVDがうまくTVに映るではありませんか。

最近の液晶TVはPCのMonitorとしての機能もあるようなので、地デジ変換のことも念頭に新しいTVを買って、外国のDVDは専用の古いPCを繋げてTVに映すようにする目論見だった。しかし、肝心の古いPCの調子がすこぶる悪く、修理に金をかけるくらいならばRegion FreeのDVD Playerを買ってしまえと言うことにしたのだが、1万円以下で当初の目論見以上の結果が得られた。製品は中国製ではあるが...。

さて、その雑居ビル。電器屋の隣は、何とコスプレに使う武器を売る店、階段を上がる途中には、萌え系Animeを売る店がそこら中にポスターを貼り付けており、まさに秋葉原の裏通りそのものだ。こういう恥ずかしくなるような萌え萌えAnimeに比べると、認知度の高い「灼眼のシャナ」は、Light萌えであり、戦闘系萌えと言うことになるのだろうか。Robot Anime Fanを自称する私としては、多少道をはずしている感じで、自責の念に駆られながらもSeason 1を見てみました。

世界にはこの世のParallel Worldとしての紅世(ぐぜ)が存在し、その異次元世界には紅世の徒(ともがら)と呼ばれる妖怪にも似たもの達が住み、相当に戦闘に明け暮れる厳しい生活を営んでいた。遙か昔、徒達は紅世からこの世に渡り来る魔術のようなものを編み出し、この世に渡り来ては人間を食らうことを始めた。人間を食らうと言っても、人間には気づかれないうちに、人間の存在の力を食らうのである。徒に存在の力を食われた人間は、既に死んでいるのだが、大量の人間を食らって殺してしまっては、さすがに人間もおかしいと気づく。そこで、徒達は、食らった人間の存在の力をわずかながら残しておき、その人間の残骸からTorchと言うものをつくり、Torchはその人間の生前の姿であたかも生きているように動き回るため、周囲はその人間が死んでいることに気が付かない。Torchは徐々にその存在感を薄め、やがて燃え尽き、消滅したとき、周囲の人はその人の存在を既に忘れている。そのため、一般人は徒の存在とその恐ろしさに気づくことはない。

しかし、そうは言っても、徒がその欲望を満足させるために人の存在を食い続ければ、次第にこの世と紅世(ぐぜ)の均衡が崩れることは明らかだ。紅世(ぐぜ)の住民の中にもそのことを危惧する者もおり、その中の能力の高い者、紅世(ぐぜ)の王と呼ばれる者の中には、人間と契約して契約した人間に宿り、同胞である紅世(ぐぜ)の徒(ともがら)や王を討伐することを使命と考える者が現れた。また、人間の方でも、自らや肉親が徒に襲われたことを認識し、主に徒に対する憎しみや復讐心から紅世(ぐぜ)の王と契約を結ぶ者が出てくるのである。これらの紅世(ぐぜ)の王と契約した人間のことを劇中ではFlame Hazeと呼ぶ。Flame Hazeはこの世と紅世(ぐぜ)の均衡を保つことをその使命と考え、紅世(ぐぜ)の王から与えられた戦闘で殺されない限りは永遠とも言える生命と人間の能力を遙かに超えた戦闘力や劇中自在法と称される魔術を使う能力を有する。

我らがHeroinシャナもFlame Hazeである。彼女の場合は、一般のFlame Hazeとは事情をやや異にしている。彼女は捨て子だったところを育ての親である別のFlame Hazeに拾われ(たぶん日本で)、同じく先代のFlame Hazeを戦闘中に失い、跡継ぎを探していた紅世(ぐぜ)の王で「天壌の劫火アラストール」に育てられた純粋培養のFlame Hazeだった。そのため、恐らくこの世で唯一「私怨を持たないFlame Haze」であり、使命に忠実で固有の名前さえ持っていなかった。

大量の人間を食らう紅世(ぐぜ)の王「人形遣いフリアグネ」を追って御崎市にやってきた炎髪灼眼のFlame Hazeは、偶然徒に食われて既に死んでいるTorchの少年に出会う。この少年こそ、主人公坂井悠二だった。悠二は炎髪灼眼のFlame Hazeから事情を説明され「既に死んでいる」と告げられても大きく取り乱すこともなく、「お前は、只のTorch、私も只のFlame Haze。ある意味Torchと同じよ」と捨て台詞をはく炎髪灼眼のFlame Hazeに対して、「もう只のっていう言い方はやめろよ」と言うような言い合いをする。そして、炎髪灼眼のFlame Hazeに始めて名前をつけるのがこの場面だ。彼女が戦闘で用いる小柄な体躯に不釣合いな大刀贄殿遮那(にえとののしゃな)から取った「シャナ」がこの時から彼女の名前になる。この出来事が、非常に象徴的な意味を持っており、個を殺して、使命に忠実に生きることを是として、実際そのように生きてきた彼女が名前を与えられて、一人の人間として、また女性としての感情を呼び起こすきっかけになる出来事だったと言える。

結局、「灼眼のシャナ」は、萌えキャラや変態的な性向を持つ敵役を用いているのが一つの特徴ではあるが、典型的な “A boy meets a girl.”の物語なのである。Robot Anime評価基準に当てはめてみると、Robot Actionに相当する戦闘シーンは、まあまあと言うところでしょうか。大刀を振り回す少女と言う設定は、Blood+の小夜がそうだったが、炎髪灼眼になって封絶の中で戦うシャナの方が迫力の点で遙かに出来は良いと思えるのです。

人間関係は、学園もの仕立てで、シャナと悠二が恋愛や戦闘を経験しながら成長していく姿がそれなりにくせのある脇役達との絡みで良く描きこまれていると思う。200万部も売れた原作小説が存在するとのことで、人間関係と世界観がそれなりに納得の行く形で描きこまれているのはその原作小説に負うところが大きいのだろう。

面白いのは、小説から入ったFanのAnime批評が結構Animeにがっかりしたと言うものが散見され、反対にAnimeからの参入者が期待して小説を読んだところ、筆者の文章が下手で、途中で止めてしまったと言うような人が多いようだ。人間と言うのは、本当に保守的な生き物であることは、こういうところからも容易に推測される。その点は差し引いても、原作の方は、発想の面白さや挿絵などが評価されているようだが、小説としてはそれ程のものではないようだ。絵も綺麗だし、出来も好いので、Animeで十分などと、Robot Anime Fanの名前を返上しないといけないようなことを言いつつ、炎髪灼眼の話の一回目の批評は見事炎上...。