エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

灼眼のシャナ−その3−

灼眼のシャナが主人公の成長を描く典型的な“A boy meets a girl.”の物語であることは、しつこいくらいに書いてきた。第1季でシャナ対紅世の徒(ぐぜのともがら)、愛染自ソラトおよび愛染他ティリエル兄妹との死闘は、好きな挿話の一つでもある。

この時期、接吻の意味についてアラストールたちから習ったことと接吻から人が想起することがどうも異なることに気付き、悩んでいたシャナだった。そこに現れた変態の愛染兄妹は、平気で他人前で接吻を繰り返し、愛を交感してシャナを戸惑わせる。

戦闘の以前に、悠二の母親から接吻は相手を信頼し、自分の全てに近付けてもいい、自分の全てを任せてもいいと言う誓いであり、簡単に許してはいけないと教えられていたシャナは、「お前たちは違う。私にはただすがりあっているようにしか見えない。(悠二と私は、)共に在ってすがらず、互いを強く感じ力に変える。」とこの挿話中の決め台詞ともいえる言葉を発している。理想的な男女関係を語った一節。この後、当初劣勢に立たされていたシャナが、悠二とMarjoryの愛染兄妹が操る自在法を破る側面攻撃の効果もあって、形勢を逆転。徒(ともがら)二人を彼等が狙っていた大太刀贄殿遮那によって返り討ちにして葬り去る。

この少し前にシャナとの二回目の戦闘に完敗し、すっかりやる気をなくしていたMarjoryは、この戦いで初めてシャナと共闘する中、徒の攻撃から子分である佐藤や田中を守ることに新たな戦いの意味を見出し復活。愛染兄妹の護衛で御崎市にやって来ていた紅世の王、千変シュドナイを撃退している。

そのMarjoryが、佐藤邸に居候して田中や佐藤と深く関わっていることに緒方が嫉妬心から突っかかってきた際に、自分と田中や佐藤との関係は、緒方が心配しているようなものではないことを釈明した上で発した助言は、「嫉妬やら恋愛に伴い表れる醜い感情は、別に恥ずべきことではない。それは、それだけ本気だと言うことの証明。大事なのは、相手と心を通い合わせることだ。」

心を通じ合わせると言えば、今週は「一般に男より意思の疎通が上手いはずの女性同士の関係がなぜ陰湿で難しいのか。いがみあい、悪口を言い合う関係になりやすいのか。」という話題で、面白い話を聞いた。その回答は、「女は皆自分が一番で男から見てもらっていたいのだ。それは歳とか見てくれとかに関係ない。」ということだった。もちろんそういう本能が強い女もいれば弱い女もいて程度の差はあるようだが、女性が本質として持っている要素なのだそうだ。なるほど、これは説得力があるなと感心してしまった。

もう一つ、また話が飛ぶが、吉田松陰松下村塾の掲げた理念と言うか塾是のようなものが、「立志、択友、読書」の三つだったそうだ。付き合う友人や恋人を決める基準として親友に紹介できるかと言うのは、非常に有効な基準になる。頭では分かっていることだが、殊に恋愛の場合など、本気になるほど一種の尋常ではない化学変化が起こっていて、親友基準さえ上手く機能しない。そう言う煩悩に捕らわれている時に、親友の声を聞きふと我に返るということはあるんだな。そう言う煩悩に陥り、胸が痛んだこと。久々に友人との他愛のない会話に我に返ったこと。これら全てが生きることに感謝したくなる瞬間だと思える。