エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

機動戦士ガンダム第08MS小隊−その3−

現在、東京MXで放映中の本作品も今週と来週が東南亜細亜戦線における連邦とZeonの最終決戦を扱う「震える山」で、正に最大の山場にさしかかる。サハリン兄妹の兄ギニアスは、アプサラス開発中止をほのめかしたユーリ・ケラーネ少将との通信装置の画面を銃で撃ち壊してしまったり、さらにその銃口を最愛の妹アイナに向けたりと、いよいよいかれてきたようだ。遂には、欧州戦線陥落で、ラサの基地に逃避行してきたケラーネ少将をアプサラスの開発を邪魔だてするものとして坑道で爆殺すると言う暴挙に出る。しかし、この暴挙によって、偵察行動中のシローらに、秘密基地の存在を知られることとなる。最早ギニアスの破滅へと向かう暴走を止めることは、実妹のアイナにも大番頭のノリス・パッカードにも不可能と言う状況に至っている。物語終盤を前にまとめておくと、アイナは、兄であり、おそらく残された唯一の肉親であるギニアスと恋人である連邦軍少尉アマダ・シローとの狭間で苦しんでいる状況だ。

アイナとシローが戦場で再会し、完全な恋人同士になる第7話で、アイナはいくつか意味深長な発言をしている。アイナが残していった懐中時計に隠されていた男性とアイナが一緒に撮られた写真を見て、アイナには恋人が居ると思い込んでいたシローにその人物が兄であることを告げ、その後、「兄は違うのです。」と涙ながらにこの言葉を発している。これは、「私たちとは、違うのです。」と言いたかったに違いない。つまり、この発言は、シローの告白を受け入れた直後に発せられたことからして、自分は最早兄の側の人間ではなく、シローが体現するような価値観の側に立った人間で、自分はシローの人格や生き方にこそ共感できることを確認した台詞とも言える。つまり、自ら開発の指揮を執る大量殺戮兵器で連邦を殲滅することにより戦争を終わらせ、ひいてはサハリン家の再興を成し遂げんとする道と理想主義、博愛主義を自らの命を賭して貫こうとする危なげで夢物語のような道のうち、彼女は後者を選んだと言うことだろう。

ギニアスとシローの違いは、一言で言えば、人間の器の違いと言うことになるのだろうか。ギニアスの方法は、科学の力に依存し、一見論理的だが、奪うことを専らにしたやり方で、他人の共感を得ることがない。シローの方は、青臭い理想主義ではあるが、いわば与えること、他人を生かすことを起点にしているために、彼自身傷つき、失敗を重ねながらも、結果的に他人を動かすことができる。凍傷に罹った身体を癒すために、そして、半分はアイナを脱がせるために、Gundamの兵器で湯を沸かして露天風呂をこしらえる場面で、この時点では既に、こう言う馬鹿馬鹿しいことを考え付くシローをむしろ好ましく思うようになっていたアイナは、シローの申し出を承諾する。芸術家的資質の強いシローは、「アイナは綺麗だ。まるで、人形みたいだ。」と素直にアイナの美しさに見とれているのだが、この言葉に過剰反応したのはアイナの方で、自分は「ギニアス兄さんの人形ではない。」と自らに言い聞かせるようにシローに訴える。病身の兄の手足となって生きてきたアイナは、ギニアスから自らの意に沿わない生き方を押し付けられ、心の平安を奪われていたのですね。

アイナを語る時に、忘れてはならないことは、この女性が名門貴族の出身ということだろう。世が世ならお姫様で、少なくともお嬢様育ちで、貴族としての価値観を持っており、庶民の倫理観で測ってはいけないということだ。貴族の本質は、血統の維持である。ギニアスは彼なりに、アイナはアイナで、そのことを潜在意識の中に持っていたに違いない。だから、理想主義に陶酔してしまって、危険の中に無防備に身を曝すシローのようなことはしないし、女性らしく現実をしっかり見据えていて、現実が見えなくなっているシローを守り、連邦に発見されたアプサラス?の機体を自爆させるなど、的確な処置をすることを決して忘れない。また、たかが二回きりしか会っていない男でも、シローが自分のために命を張れるKnightだと言うことは十分証明済みだったから、ごく自然に彼を受け入れたとも言えるのではなかろうか。

08小隊の出来の良さの一つは、初回から積み重ねられる、登場人物の人格描写の上手さにあり、非現実的な話であっても、しかし、こう言う人間だったらこのような行動に出るかもしれないと思わせる説得力にあると思われる。