エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

「何々させていただく」という言い方

日本語の乱れの指摘は、「近ごろの若者は...」と同じくらい常に言われ続けてきた事柄なのだろうと思い、単に好き嫌いの感想を言うだけでは社会現象の分析にも何もなっておらず、生産的とはいえません。しかし、以前から気になっていた言い回しが、今回の知事選で某候補の政見放送にまた出てきたために、2点敢えて指摘しておきたいと思います。

小生がここ数年いつも引っかかる言い回しの第1は、三流政治家が良く使う「何々させていただく」という一見馬鹿丁寧な言い回しです。「超」子供手当を受け取っていたことで退いた前首相などが典型ですが、「この度首相に就任させていただきました○○です」、「今回東京都知事選に立候補させていただきました○×です」、「近日中に沖縄を訪問させていただき、○△知事を始め関係者の皆様と協議させていただく」といった具合にです。この言い方は、本来自分の意志で行動していることの成否を相手方に責任転嫁するような、非常に醜くて卑しい響きの表現に小生には聞こえます。

こういう表現が口癖になっている政治家やプロスポーツ選手等が好んで使うもう一つの表現が、「何々を与える」という言い回しです。「東京に活力を与える」、「見てくれている人に感動を与える」、「日本に元気を与える」などなど枚挙にいとまがありません。プロスポーツ選手等は、無邪気にどこかで聞いた言い回しを口真似しているだけに過ぎないのでしょうが、これを聞くと思わず「お前から施しは受けたくないよ」と言いたくなり、不愉快になります。こういうときは、「東京を益々活力のある町にしてゆく」、「見ている人に感動していただく」、「日本を元気にしてゆく」と言うべきであって、貢献したいという気持ちを上から目線の「与える」で表現するのは、感覚的にどこか麻痺しているのです。

このことは、誰かが指摘しないと、言葉の感覚が麻痺している連中は公の場でこういう耳障りでおかしい表現を使い続け、感覚麻痺を伝染させてゆきます。おそらく、こういう表現が好んで使われるのは、次のようなことが背景にあるのではないかと仮説を立てています。まず、冷戦体制崩壊の1990年前後までの比較的恵まれた環境下、選良意識の強い見てくれだけの指導者達が増えてしまったことです。その後、経済が停滞し、個人の責任や力量が昔に比べて厳しく問われる混沌とした変革期入りの中で、実力の伴わない指導者達が高慢な選良意識を捨てられないままに責任逃れをした上で大衆に媚を売りたいという潜在意識が、こういういやらしい言い回しに端的に表れているのではないかということです。少なくとも、こういう表現で媚を売ろうとしている人々を責任ある地位に就ける愚だけは避けるべきだと強く思うのですが、如何でしょうか。