エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

星野が北京で勝てなかった

北京五輪は多分ほとんどの種目で惨敗だろうと思っていたが、北島の平泳ぎ100M、200Mの二連覇で流れが変わった。少なくとも変わったかに見えた。総括すると、北京五輪の日本代表は、予想通りか予想外かは別にして、健闘した種目と期待を裏切った選手の二極分化が、鮮烈に現れた大会だった。全体としては隣国で行われた五輪であるにもかかわらず、強化不足が原因の低調な成績だったと言えるのではないか。

二極分化の典型が、女子Softballと野球である。結果は天国と地獄ほどの差になって現れた。星野は大きく評判を下げたと思う。もう、2度と代表監督を任されることはないだろう。敗因は、人選やら投手起用やらいろいろあると思うが、一番のそれは、この代表たちが何のために戦うのかと言う明確な目的付けができていなかった点ではないかと疑っている。

「金メダルを取るため」と言うのは、「勝つため」と言っているのと同じで、「じゃー、何で金メダルを取りたいの」と言う更なる質問に答えられない、実に不完全で曖昧な目的なのだったことを今更ながらに思う。

普通の国の選手ならば、貧しい国の貧しい階層出身の選手などは、「大金を得るため」と明確で具体的な目標が持てるだろうし、もう少し気の効いた国の選手ならば、「国家の栄光と名誉のため」と言う目標を明確に持てるかもしれない。しかし、日本の野球選手ようなあまりに恵まれた人たちが持つべき目標がもしあるとするならば、それは、「野球による勝利によって、日本人の能力の高さの証明し、日本人にそのことを自覚することによって生じる自信および将来に対する希望をもたらすこと」であるべきだった。一言で言えば 、「祖国と同胞に対する貢献」と言うことであるべきだった。

スポーツの影響力は下手な公共投資などよりずっと大きいようにも見える。日本代表は、高次元の目標設定を自覚することもなく、目標も設定しないまま、ずるずると試合を続け、せっかくの野球に国民の目を再び向けさせる最大の機会の一つをみすみす失ってしまった。「一見良さそうに見えて、実は最悪」、これが星野仙一の実像だったのだとすると、この景色は去年辞任した首相のそれによく似ている。

それから、最近の選手がよく使う言葉で「楽しんで」と言う語句だが、これは、「確かに結果が全てだが、結果に囚われすぎず、経過を楽しんで行く、だって結果を得るためには経過があるのが人生じゃん」と言う意味なのであって、そうは言ってもスポーツの世界では、「結果が全て」と言うことが絶対の真理なのである。