エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

支那語の変遷についての考察

 東洋史家、宮脇淳子先生の話を聴いていて一つの思い付きが閃きました。思い付きですので、誤っているかもしれませんが。支那語を見ていると、多くの日本語と共通の熟語を使用しています。例えば、日本人が明治時代に創った「経済」などという言葉はそのまま支那語でも使っていますから、支那人との簡単な会話は筆談で行うことができます。

 そこで気が付いたことですが、現代支那語では日付を2012年○月△号と書くのに対して、唐の時代の書などを見ますと元号○年○月△日となっています。これは一体どうしたことか、支那語は古語から現代語に大きく変わっているのに対して、漢字を借用して使いこなすに至った我が国の方が依然として古語方式を護って大切に使用しているという現象が表面的に見られるわけです。

 宮脇先生の講義の要旨の一つは、支那四千年の歴史などというのは虚構で、広い大陸を舞台に民族が入れ替わることがしばしば起こり、易姓革命で国が変わるたびに歴史がある程度は断絶しているのだということです。少なくとも、我々が考えるような連続性のある同一民族共通の意識をもって長年月を紡いで来た歴史ではないということなのです。

 これは、北米大陸のことを考えれば、もう少し頭の整理がつきます。北米大陸では、多くの部族に分かれた原住民が居住し、長い歴史を紡いできたのです。彼らは、部族によって差異はあったのでしょうが、同じような言葉を話していたものと推察されます。ところがここに西洋からオランダ、英国、フランスなどの勢力が侵入してきて、原住民を殺し尽くし、土地を征服してしまいます。居住民族が入れ替わり、言葉も最終的な勝利者となった英国人の言葉である英語に統一されました。

 おそらく、支那の歴史は、印象としてはこの近代において北米大陸で繰りひろげられたことにかなり近いものと理解した方がより真実に近づけるのではないかと思った次第です。