エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

人事労務と経営を考える(3)

 成果主義は是か非か、という問題を考えて見ます。個人的には、成果主義を全面否定する者ではないのですが、少し距離を取りたいという立場です。成果主義を盲従的に賛美して導入することは今どきあまり流行らないのかもしれませんが、小生自身も反対を表明しています。

 前提の人事評価制度についての基本をおさらいします。そもそも人をどこで評価するかという問題ですが、人の?「存在」自体、その?「行動」、そして、その行動の結果としての?「成果」ということになろうかと思います。それらをもう少し人事評価用語風に言い換えると?「情意(志向)」→?「保有能力」→?「発揮能力」、または、?「勤務態度」→?「職務遂行能力」→?「業務成績」ということになります。よく職能という言葉を耳にしますが、これは?「職務遂行能力」のことで、?「保有能力」と言い換えられることからも分かるように、具体的な成果を伴うものではありません。

 つまり、Bubble全盛から崩壊に到る1980年代後半に、金融機関において「いけいけどんどん」の融資を行った「行動」は、その会社の経営方針と方向性が合っていたので、「職能」としては十分評価されたのだと思います。実際、その行動の結果として途中までは収益も上がっていたので、「業務成績」も上々だったことでしょう。しかし、Bubbleが崩壊すると、一連の行動は、会社自体を崩壊させかねないほどの負の成果を会社にもたらすことになりました。?の「行動」=「保有能力」=「職務遂行能力」で評価するということは、極論ではありますが、こういうことを当然のようにプラス評価することにつながります。

 人事評価制度と賃金制度とを結びつけたものが人事管理制度の本質ですが、終身雇用及び年功序列を特徴とする従来の日本型人事管理制度では、職能給が主流でした。何故かといえば、日本経済が原則として毎年拡大していた成長期において、企業の経営環境は比較的安定しており、安定的に製品を市場に供給することこそが企業に求められる最も重要な使命でした。

 このような環境下では、突出した個人の能力発揮は、業種にもよりますが、それほど評価の対象にはならず、会社の業績も個人の力というよりは、「市場の成長のおかげ」によるところが相対的に大きいとみなされ、チームプレー重視の文化的背景もあってか、個人レベルでの実績を十分に測定できない又は敢えて厳密に評価しないというような状況だったと思われます。その結果、評価の対象となったのは、「保有能力」たる「職能」ということですが、本来は?「業務成績」とも有機的に連関させて、慎重に判断されなければならないところ、安易に「学歴」に置き換えられるという弊害も公務員制度などを筆頭に散見されるようになったのだと推察されます。
 整理すると、人事評価で人の労働のどこを評価するかという視点では、

1「存在」=「情意(志向)」=「勤務態度」

2「行動」=「保有能力」=「職務遂行能力」

3「成果」=「発揮能力」=「業務成績」

 と分けて、今その対象者の何を評価しているのかが評価者によって明確に認識されていなければならないこと。そして、成果主義とは、?に重心を置いて、若しくは、?だけで人事評価をして行こうという考え方です。

 人事管理においては、人事評価制度が必然的に賃金制度に結びついているため、純粋な成果主義が実施されれば、賃金は社員の貢献度に応じて正しく社員に配分され、元手をかけずに社員のやる気向上にもつながるというのが、成果主義を導入した会社の主要動機の一つだったと思われます。しかし、実体としての成果主義は、多くの場合、単なる賃金の配分方法の一つに過ぎず、ただそれが変更されたというだけに終わってしまい、所期の目的は達成できないままになってしまっているのではないかと危惧されています。