エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

衰退ということについて_その2

1月17日に起きたJR東日本のシステム障害は、COSMOSという運行システムに想定を超える本数のデータが入力されたことが原因だったと報じられていました。現場は入力に限界があることを当然知らされていなかったのでしょう。JR東日本は、この事故から何を学ぶのでしょうか。小生は、素人には中身が見えない黒い箱化するコンピュータによる制御システムなどは、今後も避けては通れないものだと思います。だからこそ、仕組みは単純にして、誰が操作しても間違えが起こらないものにすべきだと思うのです。COSMOSについて言えば、理想は入力本数に限界など設けないこと、それが無理なら限界に達する前に警告をする仕組みにしておくことが必要でした。また、現場に肝心な制御システムの癖について伝えていない意思疎通の不足の問題に結局は突き当たるのだと思います。

さて、高齢化が進み、特に団塊の世代が本格的な引退時期を迎える今後の5年間は、社会保障費の増加に歯止めをかけることができず、他方、少子化のため減るばかりの生産年齢人口を補うことなど夢物語で、1人当たりの負担の方は増加の一途になるはずです。この高福祉高負担どころか低福祉高負担になりかねない将来像、しかも予算を食い尽くす社会保障費が生産的事業への予算配分も圧迫するまさに「にっちもさっちもゆかない」現状と将来に、衰退の影がちらついてしまいます。

この状況を打破する術はないのだろうかと考えてみました。思いついた魔法の言葉は、「向上心」という二文字です。それは、「ゆとり教育」などとは対極に位置するものだと思われます。また、人類は、これまで楽になりたいという欲望に支配されて科学を進歩させ、文明を築き上げたというのとも異なる立場になると思います。

どういうことかと言えば、例えば加齢によって体力や精神力が衰えないように、日ごろから筋力や知力を鍛える活動をする、死ぬまで前向きに向上心を持って生きる、そういう方向に人々の意識が変われば、直接的には老人医療にかかる費用は激減すると思われます。更に、多くの人が年をとっても元気で活力のある精神力を維持することができるならば、労働力としても若年層と遜色がないことになり、年金支給によって生活を支援する必要性も低下することが期待できます。現行の公的年金制度は、社会保険と言って保険の考え方を基本にしています。どういうことかと言えば、老齢を障害や本人の死亡と同じ保険事故とみなして、年金方式(一時金の場合もありますが)で保険金を支払うという考え方です。そこで、老齢は保険事故ではないと意識を変えていければ老齢年金の給付で制度自体が維持できなくなる問題は解決により近づけると思うのです。

また、極論ですが、もはや存在意義の無くなったテレビというシステム自体を禁止してしまえば、総合すると全体として社会に対する害悪を垂れ流している放送番組は一切なくなり、無駄な電力消費が抑えられることが期待できます。テレビが消滅する結果、読書の時間が増えて人々の教養が高まることが期待できます。若年層を中心に、Internetによる情報収集又は娯楽の時間が急増し、高度情報技術の分野の進歩も加速度的に速まるのではないでしょうか。Video Gameが大いに栄えるなどは、ご愛嬌です。今あるテレビという愚にもつかないシステムは我が国においては「煙草」によく似ていて、これ以上続けて良い点は何一つありません。このシステムを捨て去ることで、物質的には多少貧しくとも精神的に豊かな社会を目指す下地が整うと思うのです。要は、全体を支配する依存体質から「向上心」を標語にした自立した精神に生まれ変わる意識改革です。“Ask not what your country can do for you. Ask what you can do for your country.”路線ともいえる方向へ、大きく舵を切る必要があります。

こういった諸施策を通じて、社会保障は本当にそれが必要な社会的弱者(例えば重度の障害者)だけに与えられる低福祉低負担の社会は、人々の意識が変わり、真正の「向上心」を持った人々が多数派になることによって実現できると思います。今比較的前向きな意識の高い人たちでさえ、国の医療制度に頼れないから健康のために身体を鍛える、雇用不安だから勉強して資格を取得するといった後ろ向きの発想に知らぬ間にとらわれているようにも見えます。そうではなくて、「向上心」ということに個人も家族も自治体もそして国家も意識を集中していくことで、この閉塞状態を打破していくことができるのではないかと思うのです。Photo_3
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