エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

人間の身体にはアプリが必要

1.人間の身体にはアプリが必要?

 最近、気付いたことがあります。それは、人間の身体の動きの本質が、人間以外の動物のそれとはかなり質が違うのではないかということです。例えていうならば、人間の身体は、ソフト又はアプリを入れて始めて機能するPCやSmart Phoneのようなものであるのに対して、人間以外の動物の場合、程度の差こそありますが、通常の家電程度のものといえるのではないかということです。

 程度の差というのは、昆虫のような動物の場合、非常に家電的要素が強く、できる機能は生まれたときからほぼ決まっていて、最初から組み込まれた通りの動きだけの一生を終えることになります。その代わりに、天から与えられた機能だけみると、本当に傑出した力を発揮します。魚類なども、生まれたときから水中を遊泳することは、今工場で生産されて目の前にまかり出てきた電灯がスウィッチを押されただけで点灯するのと同じような感じといえばよいでしょう。哺乳動物になると、昆虫や魚類に比べ、多少は後天的な要素が入り込む余地があるのかもしれませんが、しかし、馬にしても、犬猫にしても、より人間に近い猿でさえ、上体を四足にのせて、かなりの速度で走ることが出来ますが、これなども後天的な訓練を積んで獲得した技能ではありえないわけです。


2.人間は不完全に生まれてくる?

 他の動物に比べると、人間の生まれ様は非常に特殊で、アプリが全く入っていないOSだけの状態でこの世に生まれ出てきます。人間は、言語活動など文化的な分野ははもちろんですが、身体の使い方も、両親をはじめ、他人や社会から学んで自分のものにしていくもののようです。言い換えれば、人間の身体活動には、元々明確な形で企図されているものはほとんどなくて、後天的にアプリが入れられて初めて機能するようなものばかりということです。このことは、立ち上がって二足歩行を始めること、自転車乗り、水泳、自動車運転から字を書くことまで、ほとんど全ての人間の身体活動について当てはまるのではないかと思います。

 なぜ、人間がそうなったのかという理由を考察してみると、ここでも「鶏が先か卵が先か」の議論は出てくる余地があるものの、おそらく、人間が何らかのきっかけで二足歩行をするようになり、二本の足で上体を支えることが日常化したために、余った両腕を使ってこれまで出来なかった様々なことを、「頭で考えて」試みるようになったことによるのではないかと考えられます。しかし、両手を使った新たな動作では、単純に上体を支えて歩いたり、走ったりする動作と違い、体幹を固定して小手先を器用に使うという必要が相対的に高まることになりました。このため、人間は体幹を固定して小手先を使う技術を高めましたが、一方で、脊椎及びその周辺の身体の奥にある筋肉を使った動きが、極端に衰退していったのではないかと推測することが出来ます。


3.身体機能は梃子の原理では高まらない

 体幹を固定して、両腕を中心に様々な身体運動を試みてきたことの代償として、犬猫や猿のような優れた身体能力を失ってきた人間ですが、それでは、優れた運動能力をどうして取り戻そうかと盛んに行われてきたのが筋トレです。これは、人間の身体を機械の骨組みのように見立てて、その間をつなぐ筋肉を増強すれば、増強するほど強い力が発揮でき、優れた身体能力に繋がるはずだという思い込みからきています。体表に近い筋肉が増強されれば、見た目もいかにも強そうな身体つきになることも、その思い込みに一役買ったのでしょう。

 しかし、肉体改造をしたあとの清原選手のことなどを思い出してみれば明らかなように、そして、猿回しの猿の身体つきと運動能力を想起してみれば容易に分かることなのですが、優れた運動能力を発揮するのに必要なのは、体表の筋肉の増強ではなくて、身体の中に無数に潜む動かすことが自覚できないほどになっている筋肉群であることが想像できます。これらの筋肉は、主に脊椎と繋がっており、脊椎すなわち体幹を自由自在に動かして非常に効率の良い身体運動を作り出していくことが、動物的な身体能力の回復と深く結びついているのではないかと考えています。そして、動物的な運動能力の源がここで仮定したようなことであるならば、体表の筋肉を鍛える筋トレは、身体の中の筋肉を目覚めさせるためにはむしろ邪魔になると考えた方がよさそうです。