エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

ラーゼフォン−その3−

安倍首相辞任に伴う総裁選を伝える報道の中で、郵政公社民営化に反対して自民党を離党した城内実衆議院議員の活動が少しだけとりあげられていた。悪評高かった人権法案を平沼赳夫氏らとともに阻止し安倍氏の信頼も厚かったにもかかわらず、自らの信じるところを貫いて小泉首相の大方針に反旗を翻し、自民党公認を得てやってきた落下傘候補片山さつきに惜敗した城内さんだが、わずか一年で内政を取り巻く風の流れは全く変わってしまった。吹く風の方向がどのように変わろうとも、超然とした姿勢を貫き、「復党などもうどうでも良い」と言い切る同氏。この人こそ国政に携ってしかるべき人だったと思い知らされた。横浜の中田市長と言い、城内さんと言い、若輩であろうがなかろうが、本物を見出して、指導者たる仕事をしてもらわないと日本はもうもたない。福田氏も麻生氏も悪くはない(と信じたい)のだが、議論はこの国が抱える核心の問題に踏み込んでいないような気がしてならない。

Rahxephon「最終楽章」まで見終わりました。全然悪くないんですが、あのEurekaを作ったBONESのRobot Animeとして期待して見ただけに、期待はずれでした。私は、正直失敗作だと敢えて結論付けました。全て監督を務めた出渕裕氏の才能不足が原因と思われます。以下論点を挙げて行きたいと思います。

この作品は、出渕監督が何と言おうが、Evangelionを強く意識して作られた作品であることは、どこのAnime Fanが見ても明白です。そして、最終楽章に至る展開は、散々謎をばら撒いておいて収拾がつかなくなってしまったEvangelionに比べ、ちゃんとまとまっています。おまけに、Happy Endです。庵野秀明に物語ってのはこうやってまとめるのさと言っているようですが、Evaに比べて成功している点は恐らくこの一点に尽きるのではないかと思うほどです。母親である碇ゆいの魂が宿っているEvangelion初号機に乗り、Evangelionの操縦席は母親の子宮内の羊水のようなもので満たされ、14歳の碇シンジは母親のCloneとも思われる人造人間綾波レイとも微妙な関係にあると言うのがEvangelionです。それに比べ、3歳年長とは言え、神名綾人は自分を育ててくれたMulianでもある母親を当初から敵と見なし、母親の許から飛び立ち、最終的に他人である紫東遙と結ばれる、非常に健全です。これはあるBlogを読んでいて、正しい指摘だと思った点です。紫東遙は確かに好い女で、個人的には最高のHeroin像ですが、好みの問題なのでここではこれ以上論じません。

この作品の最大の欠点は、最終楽章をまとめる為に、細部で非常に無理のある展開になっている点が数々目に付くことです。まず、物語の主題の一つであり、Endingにも出てきていた主人公綾人の描いている海のかなたを臨む後姿の少女。これが誰かと言う問題が遙と綾人の恋物語においても最後まで明かされずに引っ張られております。しかし、見たところ、着ているものなどからして、この少女はどう見てもイシュトリ美嶋玲香です。そして、Muによって記憶を操作された綾人の潜在意識の中にさえ残っていた理想の女性です。イシュトリは綾人の前に何度も姿を現し、彼をRahxephonへと誘い、彼の窮地に現れては彼を救いました。イシュトリとはRahxephonの心が奏者たる綾人の求める心象によって映像化したもの、綾人のそれは実は14歳の時に知り合った初恋の女(ひと)美嶋遙の心象でした。そして、外界とは時空の流れを遮断された東京Jupiterの中で17歳になった綾人は、Jupiter侵攻作戦に参加した遙(母親の再婚で苗字が紫東に変わっていた)に導かれて、Jupiterを脱出します。この時遙は外界で既に29歳になっていました。しかし、いくら記憶を操作されていたとはいえ、その操作された記憶の中でさえ生き続けていた女性と遙が同一人物であることに気が付かないという設定は、どう考えてもおかしいです。「おばはんだけど誰かに似ている」くらいは普通思うでしょ。ましてや、TERRAに来てから、東京Jupiterが外界から遮断された異次元空間で、時間の進行が外界に比べて遅いこと理解し、自分の実年齢が29歳と言うことが分かって、遙のことに気づかないのはどうかしている。絵も美嶋玲香と紫東遙は敢えてあまり似せていないが、14歳から29歳に成長しただけでこんなに見分けが付かなくなるほど女は顔が変わるかね。この前提がないと外界と東京Jupiterの中に引き裂かれた二人の悲恋物語が成立しないのだが、この前提には、遙がかなり大掛かりな美容整形でもしていると考えない限り、いかにも無理がある設定なのだ。

次に、EurekaのBONESらしからぬ欠陥と思う点は、登場人物で存在感のない人が結構いること。TERRA本部の五味と四方田は結構出てくる割に存在感のない登場人物の代表格でしょう。この物語に何で出ているのか理由が全然伝わってこない。如月樹と小夜子も物語の中で重要な役割を演じているが、考えてみると良く分からない登場人物たちです。樹と綾人はバーベム財団がMulianである久遠の遺伝子提供を受けて人工的に作り出したMulianの因子を持った人間の双子だったようですが、第15楽章「子供たちの夜」で財団に特別に奏者として育てられていた子供たちの中に樹がいて綾人がいなかったのは何故なんだろう。小夜子も財団が作り出したClone人間の一人だったことが最後に示唆されています。しかし、何で最愛の男とProgramされていた樹を刺殺してしまったのか、全然分かりませんでした。結局、この物語はよく出来ているように見えてきめ細かい論理が欠如しているのです。主人公が元の身体に戻ったとき、素っ裸にならず身に着けていたものも元通りなのを全然説明できていない昔の変身ものと同じ欠陥を持つように思えるのです。

そう言う甘さが出ているのが、一応成功裡に終わっている最終楽章でも言えます。Mulianとの戦いや綾人の真正Rahxephonへの覚醒で主要人物の八雲エルフィを始め大勢の人間を死なせておいて、世界が調律されたのだからと、綾人はどうしたのか人間に戻ることができ、Raxephonに飛行艇ごとぶっ飛ばされたはずの遙も生き残っていて綾人とめでたく結ばれ、二人の間には久遠の生まれ変わりかと思われる娘が出来ていました。この結末の落差の激しさは、何か不自然と思うのは果たして小生だけなんでしょうか。Eurekaの最終回の「月に映った相合傘」も変といえば変だが、Eurekaにはあんなものさえ視聴者に納得させてしまう勢いというものがあったんだ。Rahxephonの最終楽章は大勢人の命を奪っておいて、都合の良い人だけが都合の良い形で生き残り、何事もなかったかのように幸せな家庭を営んでいるという、ちょっとひねくれたFanには不自然さだけが残るHappy Endなんであります。