エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

ゼーガペイン“Zegapain”と量子論

ゼーガペインは第18話「復元されし者」までを見る。生物としての人間は既に滅亡してしまっているという超悲惨な設定の中で、主人公十凍京やHeroin守凪了子達の懸命に生きる姿とその「心」の振動を通して、人間が生きると言うことの意味を考えさせる新たなReal Robot Animeの傑作である。

この物語は、量子サーヴァーだの量子テレポートだのと量子論の概念がやたらと駆使されているのが特徴の一つだが、これはEvangelion以来の日本製Real Robot Animeの特徴的な流れであり、人間存在について、宗教的もしくは哲学的な思索や世界観の一つも語れないRobot Animeは、もはや一流の作品に名を連ねることなど考えられないと言ったところなのか。その反動の兆しのようなものが「創聖のアクエリオン」などに垣間見られるような気もする。

さて、量子論。文科系の小生には、宇宙人の言語のようなものですが、佐藤勝彦氏の本など目を通してみて分かったことを、覚書程度に残しておくことにした。

1.量子とは、英語ではquantumと言う。「小さな固まり、単位」の意味。何が固まりになっているかと言うと、「量」が固まりになっている。

2.ミクロの世界の物理法則、第1法則:ミクロの物質を波として考え、そのふるまいを理解すべし。第2法則:ミクロの物質の未来は、確率的に決まると考えるべし。

電子の軌道半径がとびとびのある値に限られると言うBohrの量子条件の根拠を示すために、de Broglieは電子は波であると考えた。

Schrodingerは電子の波を表す方程式を導いた。しかし、「複素数の高さ(波動関数ψプサイ)」を持つ電子の波の正体は分からなかった。

Max Bornは波動関数の2乗が、電子の発見確率に比例すると言う波動関数の確率解釈」を提唱した。

Bohr達は、見られる前の電子は様々な場所にいる状態の「重ね合わせ」になっていて、私達が見られた途端「波の収縮」が起きて電子は一箇所で見つかるという “Cpenhagen Interpletation” を提唱した。

Heisenbergは、ある物質の「位置」と「運動量」を測定する時、両者を同時に唯一つの値に確定することはできない、避けられない不確かさが残ると言う不確定性原理を発表した。つまり、ミクロの物質の性質として、ある時刻における物質の位置と運動量は唯一つに決まっていない、常に曖昧な位置にいて、曖昧な速度で運動している

つまり、量子論は、古典物理学の「ある時点での物質の状態、例えば物質がある時点でどの位置にいて、どの方向へ、どんな速度で動いるのかが決まれば、以後の物質の状態は全て確定される。」と言う物質世界に対する認識、決定論的な世界観を根底から覆すものだった。量子論は、物質や自然が唯一つの状態として決定されず、非常に曖昧であること、そしてその曖昧さこそが自然の本質であると考えた。

かのAlbert Einsteinは、「神はサイコロ遊びを好まない」と言う言葉を繰り返し、生涯量子力学の「波動関数の確率解釈」、「不確定性原理」に反対の論陣を張った。彼のEPR Paradoxによれば、外部から中が見えない箱の中に電子を1個だけ入れて密封した後に箱を二つに切り分ける。切った面はすぐに閉じられるようになっていて、切った後に何かが混入することも電子が出て行くこともないと仮定する。ここで箱の一つを地球から1光年の彼方に持ち去り、そして、地球に残ったもう一つの箱を開けるのである。このとき電子は「ある」または「ない」の一方に電子の波の収縮がおこり、状態が確定する。

すると、1光年彼方に持ち出したもう一方の箱も同時に状態が確定するはずだ。しかし、量子論では「物質の状態は観測されるまで確定しない」と考えるのではなかったか、なぜ見ていない箱の中の状態が決まるのか、と言う疑問が残る。量子論側からの回答は、「地球に残った箱を開いた瞬間、箱を開けたという情報が1光年の彼方にある箱に瞬時に伝わり、向こう側の箱の中の状態を確定させた」。これに対してもEinsteinは、「ある情報が瞬時に、時間ゼロで離れた場所に伝わるのはおかしい」と主張した。出てきました、「量子テレポート」。

年齢のせいか、近年、どちらかと言うと「人は何のために生まれ、どう生きるべきなのか」のような哲学的・宗教的な人間と言う存在の根源的な話に心引かれる。量子力学は最先端の物理学でありながら、存在や自然に関する世界観に連なる哲学や宗教に非常に相性が良いもののようだ、だからすっかり世界観づいた日本Animeの格好の材料でもあったと言う訳だ。古代において、科学も哲学もそう細かく分化されていたわけではなく、学問は須くどう生きるべきかと言うような題目で最終的には統合されていたのだろう。量子論はどうも最先端科学のそう言った古代への先祖帰りの方向性を示しているように思える。

 E = mc×c E:エネルギー m:質量