エウレカ徒然備忘録

時事報道への感想を中心に、ときにアニメDVDを使った英語学習法などを徒然書いています

HEROIC AGE

HEROIC AGE 全26話鑑賞しました。XEBECStar Childの組み合わせは、「蒼穹のFafner」以来とのことで、原作は冲方丁(うぶかたとう)氏。Fafnerの舞台は地球で、竜宮島に生き残った日本人たちが主な登場人物だったが、HEROICでは宇宙が舞台で、Argonaut crewは地球人だが、宇宙人など異形の生物も数多く登場する。

劇中には、始祖民族若しくは神を想起させる、星星をも創造する能力を持った黄金の種族と言う者たちの存在が想定されている。AGEは、この宇宙を去り、外宇宙に旅立って行った黄金の種族が、立ち去る前に自らの手で育て上げた唯一の人類であり、その右目には、英雄の種族と呼ばれる星をも消滅させるほどの破壊力を持った一族の生き残りBellcrossを宿していた。その破壊力の故に、黄金の種族から罰せられた英雄の種族の生き残りは5人しかおらず、他の種族の身体に宿ることでしか、宇宙に顕現できない定めを課された。英雄の種族を身体に宿した者たちのことをNodosと呼び、彼等は4から12に及ぶ契約を特定の種族と締結し、その契約に縛られて戦う宿命を背負っていた。

AGE以外のNodosは、銀の種族と呼ばれる、早くから宇宙進出を成し遂げ、黄金の種族が立ち去った後、その正統な後継者であることを自負する種族と契約していた。銀の種族は、宇宙進出の過程で、高度の通信能力、宇宙での孤独に耐え得るため感情を一族の一人に預けてしまうなど、人類とは異なる性質や高度の文明を持っていた。遅れて宇宙に進出した人類にも黄金の種族がNodosを与えた上で、外宇宙へ去ってしまったことついて、裏切られたと言う思いを抱き、人類に対して敵意を持つ者が少なくなかった。彼等は、個体数の多い青銅の種族を使って、地球を侵略し、人類は別の惑星に移り住むことを余儀なくされ、銀の種族からの執拗な攻撃に苦しんでいた。

Heroin Princess Deianeiraは、そんな状況の人類のためにArgonautを率いて黄金の種族の伝説に登場する人類の血を引くNodosを探す旅に出て、苦労の末にAGEに出会う。「星の道」=Star Wayのないところでも道を見つけることができる高度の感応力を持つDeianeiraは、やさしく、美しく、聡明で、かつ胆力まで持ち合わせている理想の女性である。AGEは、Deianeiraこそが、戦いに明け暮れる宇宙に道を示してくれる存在であることを当初から予言しており、彼女の存在こそがこの物語りの重要な主題の一つである。

XEBEC作品は、Fafnerとこの作品を見た限りで言うと、共通点として、作風と言うか作品の底流に流れる感性が非常に日本的だと言うことがまず上げられる。だから、世界的な配給には多少の難があるのかもしれないが、しかし、私は琴線に触れるものを感じて、とにかく泣ける。そして、Deianeiraと言いFafnerの遠見真矢と言い、Heroinがどちらかと言えば純粋無垢で髪の毛の先から爪先まで好い娘だと言うこと。主題もどちらかと言えば綺麗事に傾いている観が強い。HEROICのBellcrossは「存在」であり、Cerberusの「無」と対を成し、両者の最終決戦が外宇宙への扉を開いたが、Fafnerでも一騎のMk SeinがFestumに乗っ取られたMk Nichtを打ち破ると言う設定があった。

しかしだ、Fafnerに比べかなり軽い話ではあります。Fafnerが宇宙からの侵略者Festumを通じて個とは何か全体とは何か、また、生とは何なのかと言う主題に真っ向から取り組んでいたのに対し、実に簡単に殺傷される敵方の青銅の種族が虫の形をしていて個性のない種族と言う設定などは、安易と言えば安易そのもの。絵本を眺めているように楽しめる作品になったのは、その辺りの軽さも一役買っているのだろう。まー、Ending Song “Azurite”も良い曲で、26話最終回は綺麗にまとめていたので、Deianeiraに免じて佳作と呼んでも良い作品と言うことにしておこう。

Animeに比較して全然英雄的でないのが日銀総裁だが、民主党による武藤副総裁の総裁就任拒否の実態とは何なのだろう。民主党は、財務省(旧大蔵省)閥の中央銀行支配などを反対の理由としてあげているが、おそらくはこの人物、高級官僚時代に自民党べったりで、野党に冷たい人だったのではなかろうか。民主党は、その時の恨みを忘れていないと言うのが事の真相ではないかと勘繰っている。細川政権時代、小沢と癒着して絶対的な権力を振るった斉藤某なる大蔵次官がいたが、非自民政権は結局短命に終わり、退場を余儀なくされていった。長く政権交代が起こらず、高級官僚にとっては処世し易かった時代は、政権交代が一般化するのに伴って、いよいよ終わりを告げることになるのかもしれない。官僚にも、政権交代や政変に関わらず、どの勢力からも一目置かれる人格や人間力が重職に就くための決め手となるならば、政権交代も悪いことではない。

日銀総裁がぐずぐずと決まらなければ、金融危機の米国から援助を強要されることもなく、絶妙の演出と言えないこともない。だとすれば、福田首相もなかなかの演技派と言うことになるのだが、真相は如何に...